ココロサードプレイス

山梨・東京・諏訪が好きな私のイベントのことやミニマリズムのこと。

楽しく生きるということについて。

 先日、無事にイベントが終了しましたが、その前々日書きかけだった記事をアップします。


私はここ2年くらいの間、かさこ塾に通ったり、ブログを始めたり、5年くらい遠ざかっていた音楽関係の活動を始めたり、西野亮廣さんのオンラインサロンに入ったりして、自由でクリエイティブでクレバーでアクティブで面白くて既存の考え方にとらわれない、そんな素晴らしい人たちにたくさん会えて、本当に楽しい毎日だ。

例えば、はてなブログを始めたことで知り合えたA1理論さんもその一人だ。

今自分も、あまり多くの人が選択しない生き方(上手くいくか分からないけど、好きなことをするために会社員を辞める)をしようとしているが、そうしようと思えたのは、上記のような人たちの考え方にたくさん触れることができたからだと思う。

だけど、実際、上記のような人たちはそもそも、物凄く優秀なのである。大学受験をしていない人もいるかもしれないけれど、例えば同時期に高校で模試を受けていたとしたら、自分より遥か上の偏差値であっただろうし、同じ会社にいたとしたら、絶対に同じポジションにいないはずである。

まず、私は会社員が本当に向いていない。何かの作業を、50人いたら1,2人くらいできない人が出てくる、その1,2人の中に入る人間だと思う。単純作業・・・何かを正確に数えるとか、一つも間違えず清書するとか、10個のタスクを1つも忘れないとか、その作業レベルが50人中99%ができるものだとしたら、できない1%に入る自信がものすごくある。そういう人間は、新しい組織に属した初期の段階で「仕事ができない人」カテゴリに分類される。


そのカテゴリに分類された時点で、当然ながら他の99%に向けられるより数倍厳しい目線で仕事の精度を観察される→失敗した時点で他の99%が同じ失敗をした場合より3倍くらい厳しく叱責される→失敗したくないと強く思う→潜在意識に刷り込まれた失敗したくないという想いがさらに失敗を引き起こす、という悪循環が生まれる。

99%側の人間(の一部)は言う、「できるまで人より努力すればいいだけだ」と。

それは、物理的に・科学的に、間違いなく正しい事実だ。人間ができることにおいて、努力した結果の、伸びしろがゼロということはまず無いはずだ。そんなことは分かっている。


だが、例えば不得意科目30点を5年かけて35点にするような行為を、その法則にあてはめてよいのかということだ。あらかじめ5点分しかないであろう伸びしろに対し、「努力すれば伸びるはずだ」と言い続けていてよいのかということだ。

自分がこの5年強のあいだにしてきたことは、30点を35点にする行為だったと思う。できるようになったことはあった。学んだことはあった。そんなことは当たり前である。人間は、5年間ただボーッと毎日をすごしていても、何一つ成長がない状態で居続けることなど逆に不可能である。だけどその5点は5年の労力と心の痛みに相応であったのかということを、ほんとうは、日々考えていなくてはいけないのだ。


私は音楽が好きで、ライブが好きなので、自分が好きなミュージシャンの方々をいろんな人に見て欲しくて趣味でイベントをやっていた。5年のブランクがあったけれど、去年の3月に山梨に帰ってきて初めてイベントを開催した。2/25は山梨で2回目の開催である。

具体的にどんなことをするのかというのは、長くなるので別の機会に書こうと思うけれど、まあまあ煩雑な仕事ではあると思う。

でもそういえば、自分という人間は50人中49人ができることができない人間なのである。当然この過程で失敗をたくさんする。だけど、全てはなぜか心地よい疲労となり、そして1年前よりできることは、確実にものすごく増えている。

もっとああすればよかった・こうすればよかった、と思うことはたくさんあるけれど、イベントをやめればよかったと思ったことは一度もない。

ここ一年の間、こうやってできるようになったことを、自分の中で点数に換算すれば、50点が70点ぐらいかなあと思う。そして満点は100点じゃなく、100点じゃないことに物凄くわくわくできるのである。

だから是非みんなも好きなことを仕事に!とは今は全然言えない。なぜなら、私は好きなことだけで生活することが、まだできていないからだ。

でも、それを目指そうと思って、まず会社を辞めると決めてから、本当に良いことしか起こっていない。言い方を変えると、何が起きても全部をプラスの方向に考えることができる。

この心地よさは、長らく感じたことが無いと思う。お金では買えない心地よさだ。

人間関係に悩まなくてもいい、重責に怯えなくてもいい、思ったとおりにやってみて、100%自分の責任で失敗し、自分で取り返す。イメージを形にしようと思って、思っていたより10倍くらい上手くいかないことを実感してみる。考えて、またやってみる。それを、応援してくれる人がいる。

過去の自分に申し訳ないことをしていたなあと心から思う。そんなに閉じ込めなくてよかったのに、そんなに我慢をしなくてよかったのに、そんなにできない自分を責めなくてよかったのに、そんなに理不尽を飲み込まなくてよかったのに。

今は、今何者でもない私が自信を持って多くの人にこの生き方を推奨できるような人間になりたいなあというのも一つの目標である。

でも、一番は、ただ、楽しく生きたい。楽しく生きるのだ。そうやって生きられるであろう、根拠のない自信が溢れている。だって間違いないのだ、たぶん。明らかに景色の違う場所が、もうすぐそこに見えているのだから。