ココロサードプレイス

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死んでも誰かの心に生き続けるということ。

もし自分が長くない命だと分かって、それがいつなのか知ることができたとする。そう考えたとき、自分の状況と今までの感謝を直接伝えたいと思う人はごくわずかだということに気がついた。それが3日後なのか3か月後なのか3年後なのかによっても、変わらないなあと思った。

以前は、もしそういうことがあれば(以前からよくこういうことを考えていたのだな、笑)、人生でお世話になった人全てに時間の許す限り会いたいと思っていたのだけれど、今はそう思わないのだと分かった。

死んだあとに発見されて恥ずかしいものは処分したい・・・と思ったときに、いや別に死んだあとに自分はもう存在しないから、恥ずかしいとか思う必要もない・・・という考え方の間で、よく分からないなあと思っていたのだけれど、今は分かる。自分という肉体が無くなったとしても、誰かの心の中にある自分像は守りたいということなんだな。そして誰かの心の中の自分像は、より良い自分でもなく、より悪い自分でもなく、「これが私なんだけどなー」と私が思う像でありたい。それを人生が終わるまで、少しずつ少しずつより好きな自分にかえていきたいなーと思って今毎日を生きているんだと思う。

今できていなくてこれからしたいことは、いつでも「100%楽しい」と言えることで、それを目標として生きていくことで、今日の自分より明日の自分が好きだなあと毎日思える気がしている。そうなることで、ひとの心のなかにある自分像も少しずつ変わっていくかなあ。いったらいいなあ。まあいかなくてもいいのだけれど。

とにかくそんな自分像を誰かが覚えていてくれるかぎり、もし永久に会えなくなったとしても、私がいなくなる事実が、むしろ無いほうがいいときもあるよね、と思って。死ぬ前も死んだあとも、何も変わらず誰かの記憶の中に生きている、その私は私が好きな私でありたい。

楽しく生きるを追求していれば、絶対に叶えられる望みだなあと思う。そして、感謝は常に伝え続けていくべきだなあと思いました。最後にまとめて言えなくても後悔しないように。