ココロサードプレイス

山梨・東京・諏訪が好きな私のイベントのことやミニマリズムのこと。

いきどおることは何もない。

ひどく嬉しい!どうしようもなく嬉しい!っていうことも無いけれど、
非常に腹立たしい!物凄くムカつく!っていうことも無い。

とりあえず今、誰かにどこかに、強く訴えたい!と思うことは無い。

くだらないなあ、つまらないなあ、おかしいなあって思うことはあるけれど、そのマイナスを全部プラスに変えてやるぜ、とも思わない。人ってダメだなあって思う。ダメだから人だなあって思う。いつだって欲望から自由になれなくて、ださいなあ・情けないなあって思うけれど、自分の中のそういう部分がいつかゼロになる日が来るだろうかって思うと、そんな気は一切しないので、世の中に存在するどうしようもない部分は、全て悪ですべて潰してすべて白にして、白で有り続けさせるそのために戦いたい、とか、どうしても思えない。

私は何も後暗いことはないだろうか、そんなわけない。今も思い返すと心の中で謝り続けていることはたくさんあって、そういう自分も世の中の一部の一部であるって考えたとき、世の中なんて何も不思議じゃなく、うしろぐらいことに溢れ、これからも変わらないだろうことは全然不思議じゃなくて、だって人のあつまりだから。

そう考えると、ダメな人のダメさかげんをあげつらう意味、というか価値というか、もっと言うと、楽しさ(と感じているんだろう)っていうのが本当に分からなくて、

でもそれは間違いなく「楽しみ」として共有している人がほんとうにたくさんいるから、もうそれは多くの人が持つ趣味と言えるんじゃないかと思う。

そこでまた思うのは、そういう人たちに対して、残念な趣味だなーということだけれど、それもまたあり、というか、事実であり現代であり現実であり2015年であり、ああ、人だなあって思う。人だ。確実に人だなあと思う。

今やってみたいことは、今まで関わりたくないと思っていた人と話してみたい。話したくて話せなかった人じゃなくて、関わりたくないから関わらなかった人。たぶん自分の思い込みがたくさん打ち砕かれるんだろうなと思う。

好きだったバンドの曲の「何も悲しむことはない、何も喜ぶことはない」という
フレーズがしょっちゅう頭の中で流れて、今すごくそうなんだって思う。それは辛いことでもつまらないことでもなく、どちらかというと楽しいことで、でも特に楽しいことを喜ぶでもなく、ほんとうに言葉のまま、何も悲しむこともなく・喜ぶこともなく、でもいつだって何かは考えている。

明日も1年後も10年後も、何が起きても、そうだろうなあって思って生きていると思う。