ココロサードプレイス

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近々死ぬとしたら

山梨に帰ってきて、8月31日で丸5年。早い・・・かな。いや妥当な気もする。5年分くらいは精神的に成長したと思う。だから、そんなもんかな。

その時からつけている日記のようなものがあって、まあ、毎日あったことを記録するわけじゃなく、思いついたときに思いついたことを書くメモみたいなものなんですが。近々死ぬとなったら、何よりも先にこれを処分したいなと思います。だから、できることなら事故とかは嫌だな。できることなら、そろそろ長くないぞっていうことを知りたいと思う。

そんなこと(過去の頭わるい自分)どうでもいいやって思えるようになるのかと思っていたけど、生きていけばいくほど、その時の自分と過去が乖離していくから、生きれば生きるほど恥ずかしいのかもしれない。なかなかつらいですね。笑

この日記のようなものを書き始めた5年前でも、「過去の自分は馬鹿だった」みたいなことをたくさん書いているので、逆な言い方をすれば、いつだって今この瞬間が自分の歴史の中で一番自分が頭いいなと思っている。(当社比!笑)

死んだあと、過去の自分が考えていたことを知られたくないって思うのは、やっぱり人からどう思われるかを気にしているわけで、しかも死ぬとなったら、馬鹿な自分を挽回できないから嫌だって思うんだな。私が「人からどう思われるか気にしない」って言えるとしたら(理想としているんだけれど、まだまだかな。)、それは自分の可能性を信じているっていうことで、並びに近々死ぬなんてありえないって思っているということで。それと同時に思ったのが、死んだあとのことはどうでもいいなんて全然思えないなってことだ。

死んだあとも、自分と関わった人の中に持っていてもらいたい私像ってあるんだな。それは私が生きていても死んでも同じかもしれない。今実際生きていても、仲良かったけど何年も合わなくて、でもまたどこかで会いたいって思う人はたくさんいるもんな。今死んだら永久に会えないけど、その人たちの中にある私像は、私が死んでいても生きていてもずっと同じだと思うんだよね。今までどおりこれからも会えないっていうだけで。

ほんとうは、5年前と比べてできるようになったことを書いてみよう!と思って日記を拡げたんだけど、この日記もしょっちゅう読み返していたはずなんだけど、あまりに幼くてびっくりしてこんな記事になってしまった。